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シリーズ28 世界文化遺産 三角西港を訪ねて                                           電信文庫表紙ページへ    

第二景 三角西港への道  (2015年7月15日 訪問)

 三角という町は宇土半島の先端に位置する。元は宇土郡三角町と言って、三角西港築港時に作られた国道57号線、その後作られたJR三角線で宇土市を経由して熊本市に至るルートがある。このルート沿いの海岸線には、海水浴場のある砂浜と崖地が交互に存在している。これが宇土半島の北側ルートになる。一方南側のルートは松橋(まつばせ)町から不知火町を経由して、三角東港へ至る遠浅の干潟が続く海岸線である。こちらにはあの有名なムツゴロウさんが多く住んでいる。また有名な夏の頃見られる不知火も不知火町の海岸でよく見えられる事象である。人々の訪れは北側ルートが多いので、三角町は宇土市の属域のように思っていた。ところが2005年に市町村合併で松橋町、小川町、不知火町、三角町、豊野町など5町が合併して宇城市が造られた。宇土市にとってそれは青天の霹靂であったに違いない。宇土市は人口3万4千程度、松橋町が2万5千程度、後は1万5千から数千人の町である。そこに合併して6万人ほどの人口の都市が出来たのである。そして今年には宇城市三角町にある三角西港が世界文化遺産に登録され、何もない田舎町に突然、観光資源としての価値が非常に大きい施設が誕生したことになる。

三角西港 切り立った崖 三角西港 急勾配の山
写真説明: 三角駅からの道の両脇は切り立った岩肌を見せる山が続いている。西港と熊本市を結ぶ道路や鉄道建設は大事業であったと思われる風景が続く。 

 8時前にホテルを出て、手荷物を三角駅のロッカーに預ける。手にカメラと手帳だけもって身軽になって歩き出す。手帳には、三角駅から三角西港までの地図と、西港付近の地図がいつでも見られるようにして挟んである。三角駅からの地図には駅から西港経由でその先(熊本市方面)へいく道路と、その道路の途中から分かれて、天草五橋の第一橋(以降正式な名称である天門橋で記す。)を通って天草方面へ行く道路が主要道路としてオレンジ色が付けられている。私は地図で記載されたオレンジ色のその道路をしっかりと進んでいるつもりであった。途中で天草方面へ行く道に分かれてはいるが、そのポイントさえクリアすれば一本道だと思っていたのだ。実は他にも脇道があって、非常に見にくい薄いグレーの破線で描かれていたために目に入ってこなかったようである。道路の脇に見られた花を写真に納めるのに集中していたせいであろう。それらのことがあって、あまり曲がり角を気にしていなかったようだ。そろそろ天草の方へ向かう道との分かれ道に来るなと思った頃、実際左側奥に天門橋が見えてきていた。ちょうどその付近に面白いものがあって私の興味をかき立てた。工事中であるらしい。これは何なのだろう。

三角西港 ソーラーの基礎
 三角西港 天門橋と基礎群 三角西港 ソーラーの基礎が幾万と続く 
写真説明: 太陽光発電施設の開発現場 左写真 一個の基礎の写真それが無数に配置されている。中央写真 から右手に広がって右写真に続く。この規模にはちょっと脅威を感じた。観光地の近くでありこれで良いのか疑問を感じる。

高さ80cm位で直径が1m程の丸い鋼製の枠にコンクリートが詰められているものが、数百個規則正しく並んでいる。建設の機械も動き回っている。
よく見ると小さな看板が置いてあった。そこには”太陽光発電施設をつくっています”の文字があった。なるほど太陽光パネルを並べる基礎を造っていたのだ。そして橋の方を見ると、何かがおかしい。左手に橋が見え、いま歩いている道路はその橋を渡って天草の方へ行く一本道になっている。分岐点が見当たらない。このまま行けば天草の島へ渡ってしまうことになる。周囲を見直し、地図を見直して見ると、駅の近くの3差路からオレンジ色に塗られていない別のルートから天草方面へ行く道路にでて来たらしい。でも間違いと分かればそれを正せば良い。そこで天草方面へ行く方の道路に背を向けて、分岐路へ向かって歩いて行く。道路を間違えたお陰で珍しい光景が見られたと思うと、道を間違えたことは一向に気にならない。私はあくまでも前向きに考える人間なのだ。分岐点に来ると、さすがに車の量が違う。観光バス、乗用車が列になって流れている。この道路は、三角町や天草の島々と熊本市を結ぶ幹線道路なのだ。この時間になると日差しが強く、陰を歩きたい。こちら側は海側で、反対側は崖になって影になっているので向こう側の歩道へ渡りたいのだが、なかなか車の列が切れない。仕方なく切れるまで周辺の写真を撮る。この三角駅から歩いた道端にはいろいろな花が咲いており、幾つかに分けて随時に紹介していく。この分岐点から三角西港まで、左手に海が続き、右手には10mほどある崖地や奥行きの浅い住宅地、荒れ地などを見ながら進んでいく。少し行って天門橋の方向を振り返って見ると、海に架かる天門橋が美しい。新しい橋の橋脚もしくは仮設の橋脚と思われる物が建っているのが見える。また道路からは海越しの向こう側に、天門橋を渡って天草本島へ向かう車が対岸の大矢野町を通っているのが見える。こちら側では、コンクリートの堤防で囲まれた小さな漁港も幾つか見られる。三角西港の方に目を向けると島山(名称は中神島という)と西港がくっついて見える。実際は中神島がちょっと先にあり、三角半島と大矢野島の間の海峡の真ん中にある。

三角西港 天門橋遠景2 三角西港 大矢野島 三角西港 漁港
写真説明:  天草五橋と呼ばれるように宇土半島と天草の各島を繋ぐ五つのそれぞれ異なる形の橋が架かっている。左写真 その第一番目の橋が天門橋である。トラス構造で大型船が橋の下を通る。中央写真は大矢野島。この山から切り出された石が西港の建設に使われた。この写真に写っている橋は天草五橋には含まれない。右写真は途中で見た漁港で閉ざされた内海は静かだ。
          
三角西港 中神島
写真で一言:    この島は三角西港の正面にある中神島で、この勾配の角度から海の深さが想定できる。大型船も楽に通行できる深さになっている。この海の深さと島の存在によって波の少ない静かで、大型船も運航可能なな良港になると考えられて西港が造られた。
この島を見て”海”という歌を思い起こした。#松原遠く~#の歌である。その2番目の歌詞に 
 2. 島山闇(やみ)に著(しる)きあたり、
漁火(いさりび)光(ひかり)淡(あわ)し。
寄る波岸に緩(ゆる)くして、
浦風(うらかぜ)軽(かろ)く沙(いさご)吹く、
見よ夜の海。
見よ夜の海。
 この島山という言葉が示す風景が気 になっていた。というのは次の闇に著きあたりの言葉の意が掴みにくかったからである。”あの山のような島がある当たりの暗闇の中に淡い光の漁り火が見えると、実際に島が見えるわけではなく、方角として島が見える方角の暗闇の中に淡い光の漁り火が見える”のだとこの写真を見て感じた。

      



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