a m u r m u r     
 心で呟いた話    2024.3                                               Home page
                                             心で呟いた話 過去録へ
  童謡”朧月夜”で表現される情景   
霧や霞の違いは?
先回の呟きでは”月の沙漠”について書きました。そこに出てきた”朧にけぶる月”という言葉が出て
きたので、同じく童謡の”おぼろ月夜”についても書いてみましょう。”朧(おぼろ)”とは、ぼんやりとか、
ぼーっとした状態を表す言葉で、”朧月夜”と言えば、「霧」や「霞」がかかって月がぼんやりと見える
様を表しています。ところで「霧」と「霞」の違いが解りますか。なかなか難しいと思われましたので早速、
気象庁のページで調べて見ました。そこにはつぎの様に説明されていました。

 『「」とは小さな水滴が浮遊している状態で、視界が限定(1km 未満)される場合を言う。また、
 1km以上見える場合は、(もや)と言う。』と説明されていました。ところが、『「」については
 気象用語ではありません。』とパッサリと切り捨てるように書いてありました。そこでほかの所で調べ
 て見ますと、同じ気象庁の子供向けのコーナーの質問の回答に記載ありました。『「」とは粉塵
 や煙などによって白く濁っている様子を言います。』とありました。


つまり水滴等では無く、火山灰や土煙、西の方から海を渡ってくる黄砂等によるものと思われます。実際、
よく黄砂が日本で観測されるのが春の三月~五月頃です。そういえば”春霞(ハルカスミ)” とい う言葉
もありますね。しかし「」が掛かって月が朧に見えるのが、現在大きな問題になっているPM2.5を含む
黄砂のせいとなれば、詩情も少し低くならざるを得ないのかもしれませんね。PM2.5の来襲と考えれば
「朧月夜を楽しもう。」などと風流に考えるどころでは無いでしょう。とは言っても、その風景を楽しむのが
風流人なのだと言う人もいるのかもしれませんね。ここは無害な状況を信じて、風流にこの歌詞を楽しみ
ましょう。
      追記:月の沙漠で出てくる”朧にけぶる月”も上記の説明に当てはめれば、砂漠の砂埃
         によって月が朧にけぶっているとも解釈できます。そこで月の砂漠の中の文章”朧に
         けぶる月はあり得ない。”と記載しましたが月の沙漠の文を訂正いたしました。
         (過去録 参照)


 

   
言葉一つ一つを大切に読むと理解できるものがある。 朧 月 夜   小学校唱歌( 高野辰之:曲 岡野貞一:曲)

  1.菜の花畠(ばたけ)に、入り日薄れ
   見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし
   春風そよふく、空を見れば
   夕月(ゆうづき)かかりて、におい淡(あわ)し

  2.里わの火影(ほかげ)も、森の色も
    田中の小路(こみち)を、たどる人も
    蛙(かわず)のなくねも、かねの音も
    さながら霞(かす)める、朧(おぼろ)月夜
    尋常小学校五年

第 1 番の歌詞には”菜の花畑に 入り日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし”とあります。”山の向こうに日
が沈んで 菜の花畑は辺り一面淡い黄色になって 遠くに見える山の端は 霞んで見える。”と歌います。
菜の花”は油菜(アブラナ)が正式な名称です。属性はアブラナ科ア ブラナ属に分類されます。名前の通り
植物油を取るために、栽培されています。この歌詞が作詞された頃には多くの農家で栽培されていました。
今でも田んぼでアブラナの花を育てている農家も偶には見られます。そういった所は花の時期になると辺り
一面が、黄色い花で明るく見えます。ですから歌詞の風景の中でも、山に日が落ちて、少し薄暗くなっても
アブラナの畑は明るく見えたのでしょう。次の”春風そよ吹く空 を見れば 夕月かかりてにおい淡し”では
霞が掛かっている中で吹く風は、微かに吹く風なのでしょう。そして空を見上げれば、月が見て取れたと歌っ
ています。ここで皆さんにお聞きしましょう。月はどの方向から上がって来たと思いますか。
この場合、もし西から出るとすれば新月ですね。歌詞の言葉の並びから考えて、”入り日薄れ”から”見渡
す山の端
”となりますので、西の方から方向転換して月を見つけたと考えられます。そう考えますと月は西
からではなく、日が沈む西から目を転じて東から出てきた月を捉えたと考えて良いでしょう。いま太陽が沈ん
だ後、東の山の端から出てくる月であれば、満月です。ですから朧月夜の曲に挿絵が書かれる場合には、
満月が描かれているのです。ところで”におい淡し”とはどういう意味なのでしょうか?「菜の花のにおいが
淡し」と解釈するのではなく、古文における”におい”という言葉を調べて見ますと、”におい”というのは
実は色調を表わす言葉だそうで、しかも特殊な色合いを示しています。英語で言ばグラデュエーション=段階
的色の変化のなかで”淡し” はその中でも色が薄いと言うことになると思います。つまり「月の色がにおい
淡し」と考えて、月の色合いが思っている色よりも薄らとした色合いになっていると理解したいと思います。
ここはアブラナの花の黄色と比較して、月の黄色が薄く見えると解釈したいところです。現実的にはアブラナの
畑も、奥に行くにつれて霞んで薄い黄色になっていく。その色合いが月へ繋がっているのだと考えると、より
詩的に表現されると思います。”風を感じて上を見上げれば山の端に満月が掛かって、アブラナの花よりも
さらに淡い色合いになっています。
”という気持ちで歌うと良いでしょう。

この曲の面白いところは2番の歌詞にあります。 ・・・も、・・・もと続くところです。通常は1 番の歌詞の韻
を踏むように2 番の歌詞を構成する内容で作られる曲が多いのですが、この曲の場合は1 番と2 番の歌詞で
一つの情景描写をするようにまとめられています。だから情景の描写が深く感じられてくるのです。ここでは
朧月だけではなく、見るもの全てが霞んでみえるし、さらにいろんな音も(音さえも)霞んで聞こえると歌って
いると解釈されます。
では2番の歌詞を見ていきましょう。まず”里わ”の意味についてを探っていきましょう。”里”は、人が住ん
でいる集落という意味で捉えられますが、”わ”とは何でしょうか。漢字で表記すると「曲」 と書くようです。
それは「曲がり」と捉えられますが、この漢字を使った「曲輪(くるわ)」にも通じると考えて良いでしょう。
「曲輪」と言えば「郭(くるわ)」とも書きます。皆さんがご存じの城郭は古い時代には曲輪(郭)と表現され
ていました。つまり土塀や生け垣などで囲まれたゾーンと思ってください。塀が平面的に閉じれば、曲がりや角
が出来ます。そこから曲がりという言葉に繋がっていったと考えられます。つまり”わ”とは、村の集落ゾーンを
指す有形無形の垣根のようなものと考えて良いでしょう。次の”火(ほ)影も”についてですが、辞典を繰る
と、”火の光”とか”火によって出来た影”というように書かれていてよく分かりません。これは光は陰を
生むという陰陽の思想と関係があると思います。光があって初めて影が生じ、影があるから光が輝いて見える。
だから”火(ほ)影”とは、周囲が暗くなっている中で、明るい光がある状態を言っていると理解しておきま
しょう。”里わの火影(ほかげ)も、森の色も 田中の小路(こみち)を、たどる人も”については”村の集落の
明るい光も 森の木々の緑も田んぼのあぜ道を通っている人も”さながら霞んだように見えると言っているの
でしょう。そして次がまた面白い表現になっています。”蛙(かわず)のなくねも、かねの音も”の所がそうです。
蛙(かえる) の鳴き声も、鐘の鳴る音も、霞んで聞こえる”といっているのですが、つい「それは嘘だろう!」
と言ってしまいそうです。たしかに空気がよどんでいて、塵埃や煙などが音を伝え難くしているということがある
かもしれません。また視覚的なものに影響され、聴覚にも伝わり、少し音が小さく聞こえると認識することもある
のかもしれません。全体的な流れから、音が霞んで聞こえるという理解に異論を唱える人は少ないのではない
でしょうか。この手法は”嬉しいひな祭り”で解釈した方法に似ています。(注:1) ”さながら”についても
説明しておきましょう。”さながら”と言う言葉には古語では、「全て」と言う意味があり、ここではその意味
で使用されていると思われます。そして最後にこの曲の主題である”朧月夜”が配置されて、1番と2番の
歌詞の構成がまとめられています。”蛙の鳴く声も お寺で鳴らす鐘の音も全て霞んで聞こえるような気がする。
そんな朧月夜の夜だ。
”と歌っています。情景描写に豊かな表現力があり、情緒的な趣を感じさせる曲にな
っていると感じます。

        電信文庫 シリーズ26 童謡・唱歌を紐解く-2 朧月夜 を編成し直したものです。


**参考**************************************
(注:1)唱歌  嬉しいひな祭り  の技巧的構成について
          (電信文庫 シリーズ 9 童謡・唱歌を紐解く_1で詳しく取り上げています)

    第一節 明かりを付けましょぼんぼりに→ 歌う人の動作を示す
    第二節 お花をあげましょもものはな → 歌う人の動作を示す
    第三節 5人囃子の笛太鼓    → 飾り物で実際は動かないが、上句の2節により動作して
                     いるように思わせる。 → 演奏している様に感じる。
    第四節 今日は嬉しいひなまつり  → そこで楽しいひな祭りであると主張する(できる)。

    もし、第3節が動かないままであれば、あなたは楽しいひな祭りと思えるだろうか。言葉のトリックで
    情景を作り出している秀作の曲だ。第3節の”5人囃子の笛太鼓”で表現を止め、動きの余韻を
    感じさせて、その余韻が前2節の”動いている”という気持ちを歌う人が持つことで、楽しいという
    気持ちを興させている。    
 
 
 呟き  童謡で謳われている歌詞の中の言葉のアヤが、情景を綺麗に表現している。
言葉一つ一つが大切に配されているのだな。
   
  菜の花畠 菜の花畠   
      2023年3月 撮影
菜の花畠の写真を撮ってみると、花と茎や葉っぱの色合いが近くて少しぼんやりとしている。この感じも曲想
に近いのかもしれない。
         
   
      

                                         

        

                        心で呟いた話 過去録へ                         Home page