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2024.2 | ![]() |
童謡”月の沙漠”の不思議 | |||||
童謡は大人の 心が詠われている |
童謡・唱歌というと子供達の歌だと思い込んでいる人が多いと思いますが、実はそうではありません。以前電信文庫の中で歌の歌詞について分析したことがあります。一度目は”たきび”、”さっちゃん”、”うみ(海は広いな~)”、”楽しいひなまつり”、”月の沙漠”、”牧場の朝”、”村の鍛冶屋”の7曲で、二度目は”早春賦”、”ふるさと”、”浜辺の歌”、”もみじ”、”冬景色”、”朧月夜”、”うみ(松原遠く~)”という小学校唱歌と呼ばれる7曲などです。いずれも小学校の頃に皆さんが習った曲だと思いますが、その歌詞の中で語られている事は子供にとって難しい内容であったり、理解できない事が書かれていたりするのです。例えば”さっちゃん”では子供の思いとして創られていますが、その中身には大人の考え方が表現されています。また”楽しいひなまつり”ではお内裏様やおひな様ではなく、官女のの方に心が向いているのは、大人の見方になっているような気がします。そして”村の鍛冶屋”や”浜辺の歌”では内容が難しい事などから、当初の詩から改編されてしまったものもあります。しかしながら殆どは情緒的であったりリズミカルな詩調で作られており、歌っていると優しい気分にしてくれる曲が多くなっています。これらの中で一番私が困惑したのが”月の沙漠”でした。一般的にはロマンティックなイメージの曲として位置づけられていますが、歌詞の意味する内容があまりにもミステリアスな内容になっていると思われるのです。”月の沙漠”について書いた私の文章を読んだ人から、「そういう内容や意味があったのか」と驚きのメールをいただいたことがありました。今回はそれをテーマにしていきましょう。 | ||||
不可解な言葉の意味するものは? | イメージとしては月の夜に王子様とお姫様のロマンチックな恋を思わせるイメージがありますが、この歌詞の雰囲気とは全く相容れない言葉があります。実に不思議な曲です。そして不可解なポイントを並べると同時にイメージを広げ、ダメ元でひっくり返してみた時に、すーっと理解できた様な気がしました。まさか子供を対象とする童謡の中に、このような内容表現がされているとは思ってもいませんでしたが、新しい思考の中で捉えると、この歌詞を非常に良く理解できるような気がします。ではそれを説明していきましょう。 月の砂漠 (加藤まさを作詞・佐々木すぐる作曲) 1.月の沙漠(さばく)を はるばると 2.金の鞍には銀の甕(かめ) 旅の駱駝(らくだ)がゆきました 銀の鞍には金の甕(かめ) 金と銀との鞍(くら)置いて 二つの甕はそれぞれに 二つならんでゆきました 紐(ひも)で結んでありました 3.さきの鞍には王子様 4.曠(ひろ)い沙漠をひとすじに あとの鞍にはお姫様 二人はどこへゆくのでしょう 乗った二人は おそろいの 朧(おぼろ)にけぶる月の夜(よ)を 白い上着(うわぎ)を着てました 対(つい)の駱駝(らくだ)はとぼとぼと 砂丘(さきゅう)を越(こ)えて行(ゆ)きました 黙(だま)って越えて行(ゆ)きました この曲の歌詞を全て通して読んでみて面白いと思った事は、一枚の絵を見ている様な感じがしたことでした。その絵は「月の出ている砂漠をらくだに乗って旅をする二人の恋人のような人たちを撮した影絵のような絵」と感じたのです。1番から4番まで歌詞がありますが、その全てが一枚の絵の内容を説明している歌詞になっているのです。一枚の絵から次の絵に進む場面が描かれていないため、その絵はこの歌詞を読んでいる間、時間が止まったままになっています。その時間が止まっているという状況を歌詞の言葉で表現している部分があります。”月の砂漠を はるばると”という部分です。月が出ている時間は一日の半分より少ない。また月は昼間も見られることもありますが、通常は夜の象徴として夜の半日の短い時間を意味するのです。そして次にくる”はるばると”という言葉は、旅という言葉とともに長い日時を意味しています。この長い日時の経過を表す言葉と、月の出ている夜という短い時間が強引に繋げられて、異次元の世界を暗示しているように感じられるのです。そして次の言葉がそれを証明しています。4番目の歌詞で”二人はどこへゆくのでしょう”とあり、また最後の繰り返しのところでは”(砂丘を)黙って越えて行きました”と書かれています。ここで新たな疑問がわいてきます。王子様もお姫様も旅の目的地を知って旅をしているのだろうか。またこの王子様とお姫様はどの様な関係にあるのでしょうか。兄と妹、若い夫婦、恋人同士といういろいろな関係性が浮かびますが、もしそうであれば本当は楽しい旅になっていると思われるのですが、この歌詞の中には楽しい旅ではないことを暗示する言葉も入っているのです。4番の歌詞には”とぼとぼと”とあり、繰り返しに部分には”黙って”と表現されています。また”朧にけぶる月の夜”という言葉も歌い手に気持ちを暗くさせるものがあります。(この部分は別記の理由で削除しました。)このあたりも不可思議な表現になっています。また砂漠で旅する場合には、必ず隊商を組むのが鉄則です。砂漠をよく知っている案内人2、3人を雇い、また盗賊に襲われる場合を考えて護衛や仲間を入れ、多人数で動くのが普通なのです。砂漠を越えるためには短くても数日かかるので、それなりの量の食料なども必要です。王子様やお姫様の隊商となるとお世話係、警備の兵隊を含めるとそれは膨大な人数になるでしょう。どんなに特殊な逃避行であってもお世話係の2、3人が付いていないと彼らは動けないのに、ここには王子様とお姫様しか表現されていないのです。これらの事柄も特殊な世界の物語ではないかと思わせるところです。しかしこの曲を聴いてみるとそのような暗さを感じさせません。それは曲の作り方にあると思います。 一枚の絵で一つの曲が表現されることは希なことですし、一つの絵が一つの曲の全てを表現する例は他には見られないと思います。そしてこの一枚の絵で我々にメッセージを伝えようとしていると思います。ではどういう風に解釈すれば良いのでしょうか。 この歌詞の中にある幾つかの言葉が、異次元の世界から我々の世界を見たときに、その反対の意味を言葉にして{(茶)内に記す}異次元の世界から伝えようとしているのではないでしょうか。”旅=自由(束縛する社会)”、”恋人同士=好きな人と2人(嫌いな人間との関係)”、”静かな夜(あくせく働く昼時間)”、”金と銀=お金や宝物(厳しい労働)”、”無目的(強制される目標)”といった現代社会を倦む厭世の気持ちが無意識に表されているように思われるのです。 もちろん、そこまで考えなくてもロマンチックな曲だと言うことで良いではないかと思われる方も多くおいでになると思います。 その通りです。あくまでも私の感じた話として読んで下さい。 別記:朧にかすむ月とは霧や霞で月がかすんで見える状態のことを言いますが、霞は砂ボコり等も 差す言葉ですので、砂ぼこりで霞む事もあると思われ、下記の文章を削除致しました。 ”オボロ月”とは細かい水滴のようなもので月が淡く見えることを言うのですが、乾燥した 砂漠では殆ど見られない事象です。 |
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この文章は 電信文庫 シリーズ9 "童謡・唱歌を紐解く"の一章を改編したものです。 | |||||
呟き | ダ・ビンチのモナリザと同じように、人は不可解なものに興味を示し、いろいろな憶測を巡らす。それが人の脳細胞を刺激して、楽しく面白く、豊かに発想を膨らませていくのだろうな~。 | ||||
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満 月 2015年12月 撮影 |
月は満ち欠けを繰り返して、その時々の詩情を持っている。それが見る人の心に、それぞれに感情を起こさせ、多くのロマンティックな物語を生み出す。 | |||
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寒 椿 2015年12月 撮影 |
寒椿は冬の花の中で赤い大きな花を咲かせる。花の少ない時期に花の 女王のような威厳を持っている。その花も陰影の中で光を浴びると妖艶な姿を見せる。 |