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2024.1 | ![]() |
愛という言葉について | |||||
愛の意味 |
続けて言葉の意味を事典を繰りながら進めた事例について述べていきたいと思います。 ”愛”という言葉は、現代では”好き”という言葉の意味合いに近くなっているように思います。言葉は時代によって変わっていくものですので、それはそれで良いのかもしれません。しかし”愛”という漢字の持つ意味について考えてみるのも必要だと思います。 まず漢和辞典で”愛”を調べて見ましょう。”愛”について『息がつっかえた形と、心と、進み行く意を表す形からなり、人の苦しみを思いやることをいう会意文字』とありました。(角川書店 漢和辞典より)つまり愛という字の形を”心”を中心に上と中と下に分けて見ると、上の部分が息がつっかえた意味、下が足を表していて、これらが合わさって前記のような意味になるということのようです。またWikipediaを見てみますと、日本では”愛”という言葉の古い使われ方では”愛(かな)し”と書いて、いとおしいという意味合いで使われていたようです。相手をいとおしむ心情の中に、相手を思い、息をつっかえさせるような心持ちがあるからでしょうか。 小学校で”愛”と言う文字が出てきた時、非常に込み入った字だなと思ったものです。そして成長するにつれて、色々な”愛”という文字が使われる例を見たり、聞いたりしてきました。しかし私には、あまりにもいろいろな”愛”の意味があって、本当の意味での”愛”の意味するところが良く理解できずにいたのです。"愛している"ということばが聞かれたり、一時期"ジャイアンツ愛"など、少しマニアックな軽い意味合いで使われてたこともあります。また同じような言葉で"好き”とか”"恋”などという言葉もありますが、それぞれが違ったニュアンスを持っているように感じていました。そんな中で、あるとき社会人になり通勤電車の中で、電車の吊り下がり広告に大きく”愛”と書かれた何かの広告を見ました。この文字以外の部分については、何が書いてあったか忘れてしまいましたが、そのとき”愛”という漢字の中の"心"という漢字が目に飛び込んできました。『”愛”の中に心という文字がある。』その時は”愛”はやっぱり心と関係があるんだよなと思っただけですが、しばらくしてまたその広告の”愛”という文字を見た時にひらめいたことがありました。心という文字が有ればそのほかにも文字が隠れているのではないかと、ふと思つたのです。”愛”の文字の下の部分”久”に似た文字の象形文字は足を意味する様ですが、外の文字である”受”の場合の”又”の象形文字は手を意味するのだそうです。そこで”愛”と言う文字の"心"を別に分けておいてしまいますと、"受"に似た文字が残りました。その時、こう考えたらどうかと思いついたことがありました。家へ帰ってから”愛”という漢字を辞書で調べてみますと、最前書いた意味に突き当たりました。その結果は電車の中で感じたことと異なってはいましたが、私はその時の電車の中でひらめいた考えにある種の合理性のようなものを感じました。 実際は愛の心を取り除いた文字と、受は別な字かもしれなせんが、愛の上の部分は、手とも理解できるようですので、手と足の間に心を持つ、つまり体の真ん中で心を受けるとも取れると思うのです。(愛の冠部分は受の冠部分と同じで受の場合の冠部分は手と理解されている。=前述の角川書店の漢和辞典から)つまり心という文字と受(実際は久は足、又は手という違いはあります。)という2つの文字で構成される愛という文字、しかも受という文字の真ん中に心という文字を包み込んでいる、これが愛という文字なのだ。そこには『相手の心を自分の心の真ん中で受け止める』それが本当の意味での"愛"なのではないかということが閃いたのです。つまり『相手の気持ちをきちんと理解する。理解した上で相手の幸せを考えて行動する』それが愛なのだと思い至ったのです。 |
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I LOVE NEWYORKと I LOVE TOKYOでのLOVEの 違いについて |
ある時期、アメリカのニューヨークでI LOVE NEWYORK と言う標語が流行したことがありました。その場合の LOVE と私が今述べた愛は同じものです。しかしその後、日本でも真似をしてI LOVE TOKYOの言葉が作られましたが、その場合の LOVE は今考えた愛とは違うものです。同じ言葉ではないかと言われるかもしれませんが、それは言葉の裏にある意味の差によって起こるものです。つまり言葉は、その言葉の持つ意味以上のものが含まれる場合に、新しい意味を持ってきます。これはI LOVE NEWYORK の言葉が生まれた背景によると思われます。I LOVE NEWYORK は慢性化した暴力の街NEWYORK のイメージを一掃する為の暴力撲滅運動の中から生まれてきました。ですからI LOVE NEWYORK は暴力追放の為に住民の中にLOVE(愛)を広げて、街を愛する心を持ちましょうということが求められて出てきた言葉です。そういったことを考えると、日本の古い”愛”の意味である『 いとおしく思う』という意味の、NEWYORKを愛おしく思える街にしようという考え方に合致してくるのです。しかしI LOVE TOKYO にはただ単に”東京が好き”という漠然とした意味しか持たず、人の心に訴える力を最初から持っていなかったのです。またこれは原監督の「ジャイアンツ愛」も同じ事が言えます。そこには愛と言う言葉まで高めるコンセプトを持っていなかったためだと思われます。原監督は”優勝という目標に向かって”と言いたかったのかもしれませんが、選手やファンにはジャイアンツを好きになってください。という意味でしか捉えられなかったのです。”愛”は言葉の中にあるのではなく、人を思いやる心と同期した行為に依って作られるものです。”愛”という言葉が行動や思考を伴わない言葉で出てきた場合には、本当の意味の”愛”は無いのかもしれません。 |
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この文章は 電信文庫 シリーズ8 "日本語の面白さ"の一章を改編したものです。 | |||||
呟き | 愛は人を思いやる心であり、愛が変化して憎悪に変わることはない。もし憎悪に変化したのであれば、それは愛ではないと言えるだろう。 | ||||
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シロツメグサ(白詰草) 2015年4月 撮影 |
野草の代表的な花ですが、その美しさは他の花にも劣りません。花は愛を求めている訳ではありませんが、見る人に愛おしさを感じさせます。 | |||
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ニワゼキショウ(庭石菖)と シロツメグサ(白詰草) 2010年5月 撮影 |
自然の中で咲く花たちは、それぞれの花の時期に花を咲かせ、散っていきます。そして種子を作り出して次世代に託すのです。その爽やかさを私達は愛でるのです。 |